「巨漢の外国人ボクサーを一撃で倒した男」
唐手(空手)の存在を日本に初めて
知らしめた人物「本部朝基」の逸話を
紹介します。
大正11年(1922年)11月、本部朝基は
たまたま遊びに出かけていた京都で、
ボクシング対柔道の異種格闘技の試合を友人
と観戦することになりました。
ロシア人ボクサー(ジョン・ケンテル)は、
エントリーしていた柔道の猛者5人を、
次から次へとKOしてしまい、
我が物顔で日本人を「ジャップ」と
呼び馬鹿にしていました
。
それに怒り、セコンドに付いていた3人の
柔道家も戦いを挑みましたが、
あっという間にKOされてしまいました。
会場が騒然とした中、ロシア人ボクサー
は「俺を倒す事が出来たら賞金をやる」
と観客を挑発したところ、
小柄で小太りな壮年がリングに
上がってきました。
52才であった本部朝基です。
ロシア人ボクサーは、朝基の頭を
なでたり、鼻をつまんだり、
耳をひっぱったりと子どもを
扱うような態度で、ふざけていました。
ヘビー級のボクサーを相手に、
小柄な壮年が試合をすることを
大会関係者が拒み、次の日に試合をする
ことにして、朝基を帰しました。
次の日、約束どおり会場に
朝基が現れたので、仕方なく飛び入り
で参戦することが決まりました。
前日と同じように、柔道の猛者達は
次から次へとKOされてしまい、
朝基の順番がすぐにやってきました。
巨漢の外国人ボクサーを相手に、
小柄で小太りな壮年が
リングに登場して来た為、
会場は大ブーイングがおきました。
試合開始、
構えもせずに立っている
朝基に対して、
ロシア人ボクサーが
軽く打撃を出そうとした瞬間、
朝基の右手が
ロシア人ボクサーの
こめかみに当たり、
ロシア人ボクサーは崩れ落ち
そのままKO、
大ブーイングが大歓声に
変わりました。
この試合の模様が、日本出版史上、
初めて百万部を突破した
雑誌「キング」に掲載されると
「本部朝基」の武名と
琉球発祥の武術・唐手の存在は、
一躍全国に知られる
ことになりました。
昭和7年(1932年)当時、
東洋フェザー級チャンピオンだった
不世出のボクサー・ピストン堀口が、
朝基の道場に訪れました。
朝基は、堀口に
「遠慮無く掛かってきなさい」
と言うと、ドテラを着たまま、
堀口のパンチをすべて交わして、
入身をして堀口の眉間スレスレに
拳を寸止めしてみせました。
堀口は「駄目だ、
全然歯が立たない、参りました」
と一礼をして、構えを解きました。
この時、朝基は62歳でした。
武術の極意、秘伝の身体操作には、
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空手の型には、先人が人生をかけて
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そこにはスポーツ的な
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人類が本来持つ
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武術空手で野生の能力を
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【真明流アカデミー】真明魂
知多半島の阿久比町を中心に
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真明流合氣空手術
総師範 飛龍(ヒリュウ)
真明流アカデミー
事務局 0569-59-0652