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真明魂 師範ブログ 空手歴史(4)  「空手の普及」

「空手の普及」
空手を一般に普及させる為に
糸洲安恒は空手独特の難しい
身体操作を省き、誰にでも
簡単に出来る体育的なものに
変えました。
糸洲安垣それが「ピンアン初段〜五段
の普及型」です。

糸洲安恒が、一般普及用に
改良した「体育的な空手」の
指導を中心的にした人物が、
糸洲安恒の愛弟子である
富名腰義珍でした。
一般に空手を普及させる為に、
足幅を大きく開いて腰を
低く落とした体育的な動作を
指導していました。

その為、実戦的ではなくなり
ましたが短期間で体を鍛える
事が可能になりました。

実戦的な古流の武術空手は、
数人を限定に個別に指導
する事で伝統を守る事に
なりました。

大正11年(1922年)
文部省の主催で、
運動体育展覧会が開催
されました。
沖縄県の代表として、
富名腰義珍が東京で空手の
演武をしました。

日本本土で初めての
空手の型の演武でした。

しかし、観客の反応は期待した
ほど喝采はありませんでした。
日本の武道の演武は、
二人一組での技の掛け合いをする
のが当時の支流でしたので、
一人で行う空手の型に対して
馴染みがなかったからです。
しかし、その観衆の中に
空手の本質を見抜き、
感嘆した人物がいました。
講道館柔道の創始者、
嘉納治五郎です。

嘉納治五郎は、古流柔術を学び、
相違工夫を重ねて、
危険な技を除いて体系化して
講道館柔道を完成させました。

乱取りを重視した稽古をする為に、
当て身を禁止していました。

本気で当て身をしていたら
稽古にならないからです。
しかし、空手の型の演武を見て
実戦での打撃技の必要性を痛感して、
富名腰義珍に講道館で柔道の門弟達に
空手の指導をお願いしました。

【真明流アカデミー】真明魂
知多半島の阿久比町を中心に
空手教室をやっています。
武術の極意秘伝の身体操作を
研究開発しています。
3才から60才代まで幅広い年齢が
空手を楽しんでいます。

真明流合氣空手術 
総師範 飛龍(ヒリュウ)

真明流アカデミー 
事務局 0569-59-0652

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